東京高等裁判所 昭和60年(行コ)96号 判決 1989年10月16日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
一 控訴代理人は、「一 原判決を取り消す。二 板橋税務署長が昭和五六年七月一三日控訴人の昭和五四年分の所得税についてした更正及び無申告加算税賦課決定を取り消す。三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、次の1及び2を付加するほかは、原判決事実摘示(判決書一一丁裏八行目から一二丁裏三行目までを除く。)のとおりであり、証拠の関係は原審及び当審記録中の証拠目録のとおりであるから、これらの記載を引用する。
1 控訴人の主張
(一) 本件合意解除の成立時期は、昭和五五年三月一四日である。この点に関する証人清水恒男(原審)及び大谷隆一(当審)の証言は、十分に信用することができる。
仮に、本件合意解除の時期が法定申告期限(同月一五日)後であると認定されるにしても、その時期は右期限から一年以内(国税通則法(以下「通則法」という。)二三条一項柱書き)であり、現に原判決も同年五月一七日までの間であると認定している。このように、原判決の認定に従っても、右期限から一年以内の合意解除である以上、同条二項三号の「やむを得ない理由」に該当するか否かにかかわらず、同条一項の類推適用により、本件合意解除の効果としての譲渡所得の遡及的消滅は、これを期限後申告に反映させることが許されてしかるべきである。同条二項三号は、一年を経過したものであっても、「やむを得ない理由」に該当するのであれば、その翌日から起算して更に二月以内は更正の請求ができるという規定であり、このことは、文理上明白である。
(二) 本件合意解除は、措置法三五条一項についての無知・無理解に由来するものとして本来錯誤無効とされるべき本件譲渡契約を、合意解除という手段によって遡及的に白紙に戻したものである。その上で、土地持分の譲渡(本件譲渡契約)を土地の賃貸借に改め、その線で契約のやり直しをしたものである。税法、特に措置法の右条項の規定は複雑・難解を極め、昭和二年生まれの一主婦たる控訴人はもちろんのこと、通常社会人の理解を超えるものがある。控訴人が同条項を誤解していることに気付いたのは、税理士の指摘によるものであり、その時点において既に合意解除を決意したものである。その時期は法定申告期限前のことであり、それを実行に移すのが右期限にずれ込み、一か月ばかり遅くなっただけのことである。本件合意解除に伴う原因回復措置はすべて履行済みであり、本件更正及び本件賦課決定が取り消されなければ、本件合意解除の効果として譲渡所得そのものを喪失した控訴人は、回復し難い重大な損害を被ることになる。
右のように、本件合意解除は通則法二三条二項三号の「やむを得ない理由」に該当するものであるから、同条一項の解釈につき後記被控訴人の主張に従うとしても、同号の類推適用により、控訴人は、譲渡所得の遡及的消滅を期限後申告に反映させることができることになる。
2 被控訴人の主張
(一) 右控訴人の主張(一)に対しては、その主張事実を否認し、その法律的見解を争う。
控訴人は、法定申告期限前である昭和五五年三月一四日に本件合意解除が成立したと主張するけれども、問題は、合意解除の意思表示がいつされたかというのではなく、解除されたところの当初の契約によって既に生じている経済的成果(利得)の覆滅であり、これを現実に喪失した時期である。本件合意解除の成立時期が控訴人主張のとおりであるとしても、合意解除の対象とされた本件土地の持分一万分の四一二四(本件土地持分のうち、大谷建装から第三者に転売された一万分の二〇六二をを除いた部分)の譲渡についての持分一部移転登記の抹消は同年五月一七日にされ、また、本件合意解除に基づき控訴人が大谷建装に対し清算金二四一五万九八一七円を現実に返還したのは、その主張の合意解除の日から一年以上も経過し、しかも本件更正がされた後である昭和五六年八月一二日のことである。
本件譲渡契約によって生じていた経済的成果が現実に消滅したのは、右に見たとおり法定申告期限(昭和五五年三月一五日)経過後のことであり、他方、通則法二三条一項一号の「当該申告書に記載した課税標準等若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従っていなかったこと又は当該計算に誤りがあったこと」というのは、法定申告期限後に合意解除があった場合のように、遡って当該計算が法律の規定に従っていなかったことになることを含むものではない。これが右文言の素直な読み方であり、立法の経緯からも導かれるところである。このように、本件合意解除の結果として、控訴人において当初の本件譲渡契約による経済的成果を現実に喪失したのが法定申告期限経過後である以上、同法二三条一項の更正の請求をすることはできず(同項一号の右引用の文言に当てはまらない。)、したがってまた、期限後申告の場合に、これを確定申告に反映させることも許されない。もっとも、同条二項三号の「やむを得ない理由」に該当するのであればまた格別であるが、本件合意解除がこれに該当しないことは、次の(二)のとおりである。
(二) 右控訴人の主張(二)に対しては、その法律的見解を争う。
通則法二三条二項三号(ないし同法施行令六条一項二号)の「やむを得ない理由(ないし事情)」とは、租税負担に関する無知・無理解という納税者の主観的事情のみではこれに当たらず、法定の解除事由がある場合、事情の変更により契約内容に拘束力を認めるのが不当である場合、その他これに類する客観的理由のある場合をいうものと解すべきである。本件合意解除のような税法の不知に基因する解除がこれに当たらないことは、明らかである。
理由
一 請求原因並びに抗弁1(一)、2及び3(一)(控訴人の昭和五四年分総所得金額、所得控除額、課税総所得金額に関する部分)の各事実は、当事者間に争いがない。
二 控訴人と大谷建装との間に昭和五四年一月二六日本件譲渡契約が締結されたこと及びその目的物件が被控訴人主張のとおりそれぞれ引き渡されたことは、当事者間に争いがない。なお、本件譲渡契約については、補足金付き交換か・二個の売買かの点で争いがあるけれども、以下の検討においては、その法律的性質いかんが結論を分けるものとは思えないので、この点の判断は特に示さない。
重要なのは、次の諸点である。すなわち、<1><証拠>によれば、控訴人は、本件土地上に平家建ての本件建物を所有して夫の隆一とともにこれに居住していたが、周囲が高層化してきたので、措置法三五条の居住用財産の譲渡所得の特別控除の規定があるということから、夫の隆一と協議した上、右規定の適用を受けて、隆一が社長をしている大谷建装に対し本件建物及び本件土地持分を譲渡するとともに、同社の費用で本件土地上に建築する本件マンションの一階及び五階の四個の専有部分の区分所有権を同社から譲渡(分譲)を受けることとし、このように措置法三五条の適用のあることを当然の前提としてマンションに建て替えることを目的として締結したのが本件譲渡契約であると認められること、<2>本件譲渡契約においては、右<1>から認められるように本件土地持分の譲渡と本件マンションの区分所有権の譲渡とが不可分に結合しているのであって、この意味では交換的要素が入っているし、被控訴人自ら主張する(抗弁1(二)(1)(ロ))ように右のそれぞれの譲渡物件ごとに価額を取り決めた上で譲渡している(その上で、差額は清算)のであって、この意味では二個の売買という要素も入っていること、<3>前記争いのない本件譲渡契約の締結及び目的物件の引渡しの結果、控訴人には、昭和五四年中に、本件土地持分を大谷建装に譲渡したことによる四〇七九万五七五五円の収入が発生したものである(原判決書一七丁表五行目から七行目まで)こと、以上の三点であり、これらを確認しておけば足りる。
三 そこで、控訴人主張の本件合意解除の成否について判断するに、原判決理由三2(一)(判決書二〇丁裏六行目から二一丁表二行目まで)所掲の当事者間に争いのない事実、同(二)冒頭(同所三行目から末行まで)所掲の各証拠、<証拠>によれば、同(二)の(1)から(6)まで(同丁裏二行目から二四丁表末行まで)の各事実を認めることができるので、原判決理由中右各括弧書き部分の記載を引用する。
右争いのない事実及び右認定の事実によれば、控訴人と大谷建装との間の本件譲渡契約は、控訴人が昭和五五年三月十二、三日ころ同社代表取締役の夫隆一とともに清水税理士の事務所を訪れた際に同税理士から本件合意解除をすべきことの助言があったので、控訴人も隆一も、これに従うことにして本件合意解除に及んだものと認めるに十分である。合意解除は、原契約を遡及的に消滅させることに尽き、細目の取決めは本来必要でないのみならず、前記二において確認した(その<1>の点)ように、本件譲渡契約においては当事者双方とも措置法三五条の特別控除の適用を当然の前提としたものであるが、結局それが誤解であったというのであるから、本件合意解除は錯誤無効(最近の最高裁判所第一小法廷平成元年九月一四日判決参照)の原契約を合意解除したことに帰着し、これらの点からすると、本件合意解除の成立は、たやすく認定されてしかるべきである。と同時に、これを虚偽表示であると争ってみても、原契約自体が無効である以上、そのような争い方は意味がなく、したがって、通謀虚偽表示に関する被控訴人の主張は、採用することができない。
このように見てくると、本件合意解除は真の意味での合意解除ではなく、単に原契約の無効を確認し合ったにすぎないではないかとの疑問も生じてくる。しかしながら、本件合意解除は、原契約たる本件譲渡契約を全体として合意解除したものではなく、まず、本件土地持分のうち第三者に移転登記がされた合計一万分の二〇六二に係る部分が除外されているのであり、このことは、原判決が説示する(判決書二四丁裏初行から四行目まで)とおりである。そのほか、前記二において確認した(その<2>の点)ように、本件譲渡契約には二個の売買の結合という側面もあるところ、前引用の原判決認定の事実関係からすると、本件合意解除においては、右の二個の売買の結合を切り離し、そのうちの本件土地持分(右の一万分の二〇六二を除く。)の売買契約に限定してこれを合意解除したものであり、右の一万分の二〇六二に係る部分のほか、本件マンションの区分所有権の売買は、合意解除することなく、有効に存続させたものと認めるべきである。そうであれば、本件合意解除は、単に原契約の無効を確認し合ったというにとどまらず、右内容の合意・契約であって、なお合意解除たるを失わないものと認定解釈するのが相当である。
四 本件合意解除については、その具体的な成立時期が争いになっている。しかしながら、問題は、その成立時期ではなく、前記二において確認した(その<3>の点)控訴人における本件土地持分価額四〇七九万五七五五円相当の収入が、本件合意解除の結果いつ現実に消滅したかである。
まず、右収入のうち前記一万分の二〇六二の持分に係る部分は、その大谷建装への譲渡が合意解除されていないから、消滅しないで控訴人のもとに残っていることはいうまでもない。ちなみに、右一万分の二〇六二につき(登記その他において)控訴人から第三者に直接譲渡したことにしているが、これに関連して、右直接譲渡の点を控訴人の主張として取り上げるに及ばないことは、原判決の説示する(判決書二八丁表九行目から同丁裏三行目まで)とおりであるから、これを引用する。
次に、その余の一万分の四一二四の持分価額相当の収入についてであるが、本件合意解除の効果として、控訴人は、該金員を大谷建装に返還すべきであるにもかかわらず、本件更正及び本件賦課決定がされた昭和五六年七月一三日までに返還したという証拠はなく、かえって、前掲各証拠によれば、右の時点では返還していないものと認められるから、この分の収入も依然として控訴人が保有し続けていたものといわなければならない。この点についての控訴人の言い分は、あるいは、大谷建装においては本件合意解除後いち早く右金員を未収金扱いにし、その旨帳簿上もはっきりさせているし<証拠>、回収の相手方たる控訴人はほかでもない社長の妻であり、資産も十分で、いつでも回収できる(<前掲証人隆一の証言>)から、大谷建装に返還されたと同然であるというのかもしれない。しかしながら、右は一種のこじつけであるのみならず、通則法七一条二号の規定の趣旨に照らしても、このような言い分は通らない。
ところで、大谷建装の会計処理について見るに、<証拠>によると、大谷建装においては、昭和五五年五月一七日に本件土地持分のうち一万分の四一二四を控訴人に返還したとして、その価額二七一九万七一七二円を棚卸土地勘定から落とし、その代わりに、控訴人から右金員の返還を受けることになったとして、同日付けでこれを未収入金扱いにするとともに、控訴人から右一万分の四一二四の持分を賃借しその賃料を控訴人に支払わなければならなくなったとして、同年七月一日から翌昭和五六年六月三〇日までの賃料一六三万二〇〇〇円と控訴人からの右未収入金とを右同日対当額で相殺した扱いにしていることが認められる。この点につき、控訴人は、本件合意解除に基づく大谷建装への金員返還義務が右相殺により一部消滅したと主張するもののごとくである(原判決書九丁裏四行目から一〇行目までの主張を善解すれば、そのようになる。)。しかしながら、右の計算からすると、控訴人から大谷建装に返還すべき金額は毎年一六三万二〇〇〇円ずつ減少していき、やがて十六、七年後には、控訴人は、右金員を取り崩すことなく自己に保有したままで、それゆえその運用利益も取得しながら(別の言い方をすれば、右返還のための借財もせず、それゆえ金利負担も免れながら)、大谷建装への右金員返還を全部済ませてしまうという全く不合理な結果を招くことになる。したがって、控訴人の右主張は、採用の限りでない。
五 右四で検討したように、本件譲渡契約によって控訴人に生じた四〇七九万五七五五円の収入は、前示一万分の二〇六二の持分に係る部分も、その余の一万分の四一二四の持分に係る部分も、共に消滅していないことになる。そして、右収入額から被控訴人の自ら主張する取得費三五一万〇二四四円(控訴人も、これを超える額を主張するものではないから、結局は争っていない。)及び当事者間に争いのない譲渡費用四七九万二〇四二円を控除した三二四九万三四六九円が、控訴人の昭和五四年分の分離短期譲渡所得金額である。
そうすると、控訴人の課税所得金額は、<1>課税総所得金額(前示)一七九万四〇〇〇円、<2>課税短期譲渡所得金額(右の)三二四九万三、〇〇〇円(一〇〇〇円未満切捨て。措置法一一八条一項)になる。これによって、通則法、所得税法、措置法及び措置法施行令(いずれも、当時のもの)の関係規定を適用して計算すると、控訴人が更に納付すべき税額及び無申告加算税額は、本件更正及び本件賦課決定のとおりである。
したがって、本件更正及び本件賦課決定は、適法である。よって、これらの取消しを求める控訴人の請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であるから、行訴法七条並びに民訴法三八四条、九五条及び八九条に従い、主文のように判決する。
(裁判長裁判官 賀集 唱 裁判官 安國種彦 裁判官 安齋 隆)